25 FS
Wings
SU-969 (81-0969)
(TFS)
25th FSはベトナム戦終了後の1975年12月に18th TFWに編入され、嘉手納のF-4C/D UNITの1つになった飛行隊であったが、18th TFWがF-15C/Dに改編する際、唯一日本から去って行った飛行隊でもある。しかし、1982年2月にA-10Aの部隊となって再び沖縄の地を訪れ、韓国駐留の51st CWの傘下におさまった。それ迄は韓国で春に行われていた米韓合同演習チームスピリットに参加するため、遥々米本土から355th TFW(DM)のA-10が沖縄経由で向かったり、デモンストレーションのため横田基地に飛来した機体を一部のマニアだけが目にする程度だった。A-10が日本国内のOHで常連のように参加して身近になったのは、朝鮮半島に配備されたからである。25th FS以外にも、やはり韓国駐留の19h TASSがOA-37Aの後継機としてOA-10A(基本的にA-10と同一)を使用したり、空軍組織の変遷に疎い私にとっては、良く訳が判らないまま”OS”→”SU”→”OS”とテールレターの変わるA-10を撮れる時に撮っていたのが実情だった。
OS-245 (80-0245)
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(1987)
(1987)
(1987)
(1987)
(1987)
25FS & 19TASS A-10's Crews
SU-243 (80-0243)
SU-970 (81-0970)
SU-253 (80-0253)
SU-243 (80-0243)
OS-177 (80-0177)
OS-241 (80-0241)
OS-652 (82-0652)
OS-243 (80-0243)
OS-239 (80-0239)

↑ 1992年11月 浜松基地飛来した51st WGのコマンダー指定機 OA-10A (80-0245)

OS-247 (80-0247)
OS-213 (80-0213)
(1991)
(1992)
(1992)
(1990)
(1991)
(1990)
(1990)
(1990)
(1990)
SU-969 (81-0969)
OS-213 (80-0213)
Including OA-10A of 19TASS
横田基地OHでA-10Aが初めて展示されたのが、1982年であり OS(80-0247)は、ヨーロピアン1のスキーム迷彩を身に纏っての登場だった。上の写真のように他部隊のパイロット迄が珍しげに集まり、A-10のクルーから機体の説明を受けていた。
OS-247 (80-0247)
OS-971 (81-0971)
(1982)
(1982)